耳がいいと、言うとき。意味するところは。
単に、音がしているのを感じる。
いわゆる、聴力検査で、ピーと鳴った音が聞こえることを指して耳がいいということがあります。
でも、耳がいいとゆうとき、それを認識解釈できるかを指して耳がいいということもあります。
「認識とは、先行する理解による解釈である。」とする。
認識論的な耳がいいというときは、鳴っている音をどう理解しているか。
これは、訓練によって耳がよくなるものです。
たとえば、音楽家。
合奏曲の中から、特定の楽器を選んで聞きとり、譜面に起こすことができます。
今日、演奏家から、そのことが話にでて、「自分は小さい音も聞き取れる」とのことです。
私は、中学の時、アマチュア無線をしていて、混信している中から、自分の通信したい相手の声を選んで聞き取る必要がありました。この、声を選んで聞き取る能力は、混信している中から聞き取ることを、毎日続けていることで高めることができました。
このことで、教室の中で特定の話し手に意識を集中することで、教室の反対側で小声で話している会話をも聞き取ることが出来るようになりました。
鑑賞する能力を指して、耳がいいといゆこともあります。
たたえば、数ある曲の中から、歌手や、演奏家を見いだして、評価する能力を指すことをあります。
私は、音楽鑑賞が好きです。小学校入学前からの習慣です。音楽ジャンルも広く聴いていました。
ポピュラー、ジャズ、クラシック、前衛音楽、民族音楽、宗教曲。
私が、高校3年のとき、荒井由美(松任谷由実)がデビューしたてで、ほとんど評価されていないころ。
初めて、その曲を深夜放送で聴いたときに、「ああ、一生聴ける曲だな」と思いました。地方で、レコードを注文するなど考えたこともなかったので、ことある毎にレコード店で探し。やっと一年後にレコード店で見つけ買いました。嬉しくて4ヶ月間、同じレコードを毎日1回以上聴いていました。大学1年の時です。
それを、人に勧めても、すぐに良いと言ってくれる人と、あまり評価してくれない人がいました。
でも、4年卒業のころには、荒井由美も有名になり、すぐに評価してくれなかった人も、このことに対して私に「君は、耳がいい」と言ってくれたときはとても嬉しかった。
その後、荒井由美(松任谷由実)の楽曲は、音楽の教科書に乗るようになりました。
最近のニュースで、荒井由美の「ひこうき雲」が40年を経て、宮崎駿監督作品「風立ちぬ」主題歌に決定
とありました。高校3年時に、思った40年前の自分の判断は、「耳がよかった」と再認識し、嬉しくも、懐かしい気持ちです。
ちなみに、朝の目覚めの曲は、ここ半年。荒井由美の曲です。
(毎日が夏休み、日付はかっわたけど、23日目)
- 雑記2013
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